2021年7月23日から今日にかけての考え(思った事)について書いておく。
オリンピック開会式(7月23日夜)観る気せず観なかった。
ツイッタのTLの方はちょくちょく覗くと結構盛り上がっていて、その辺りの気持ちがあんまり分からない…と感じる。
昼間のブルーインパルス飛行も随分湧いていた。元々そういう分野の趣味を持ってるなら嬉しく感じるのは分かる、あるいは実際の飛行を目の当たりにすれば込み上げる感慨もあるんだろうとは思うんだけども、去年の医療従事者への感謝の(?)飛行にしても、こういう官制のイベントに全体がわっと喜ぶ状態になるのがよく分からない。
今の政府ってそんなに信頼厚かったっけ?
五輪開会式で多くのゲームミュージックやアニメの曲が流れ、プラカードに漫画の吹き出し調のデザインが施されていたという事だけど、そんなに喜ばしいことか?
あからさまな国内の層に向けた(舐めた)目配せのようにしか感じられない。
そもそもの五輪開催決定時からのイロイロ滅茶苦茶な経緯が存在して、都度「行き過ぎた批判」ていう論調で(その指摘が正しい部分もあるにせよ)状況が揺り戻されて何となく物事は進行していき、
感染対策も観客もボランティアの扱いも学生の動員も暑気対策もグズグズなままスタートしてしまった。
既に第5波が拡がっていて、今日明日にも医療現場がどうしようもなくなる可能性が高い中で、「今だけはいったん忘れて盛り上がろう」という気持ちにはどうしてもなれない。
と言っても、同じような状況の中で生きてきた人が、虚心に純粋にイベントを楽しもうという気持ちに水を差したいわけではないので(自分には窺い知れない個々人の価値観や分別を持っている筈なので)、開会式中などには何も呟かないようにしていた。
それにしても「こういう時に素直に楽しめない人って損だね」みたいな書き込みを見ると、そんなこと言われる筋合いはねぇ…もとい、心配してもらって恐縮です、自分なりに楽しみを見付けて生きて行きますね…という気持ちにはなった。
「五輪自体の運営上の疑念、行政の現状に対する対応の不満は於いて(忘れずに)、開会式というイベントを純粋に楽しむ」という意見も結構観た。それは実際とても成熟した態度だと感じるんだけど、その分別を、正しく認識して反省する人が政権与党やその周辺にどの程度居るだろうか…というのはメチャクチャ疑わしく感じる。
そのような知恵や良識があれば、分科会などの再三の指摘を自分達の都合に合わせて解釈したり無視したり、記者に対して横柄な態度で会見しないだろうと思う。
開会式での盛り上がり、自分がもちっと若かったらもっとイライラしたり絶望的な気分に落ち込んだりしたかもしれないが、今は「こんなもんなんだろうな」という気分で眺めている。
これも立場の違う人からすれば、上から目線の嫌味な意見と映るかもしれない。
でも自分の方がひねた少数派だと思う。
とはいえ日本の多数派、というか発言力を有してる著名人には、ずいぶん狭い視野で生きてるなぁと感じる人が多いように感じる。
などと言ってる私はコロナびびって引き篭って漫画も描きあぐねているような存在です。