「君の名は」に細田版「時をかける少女」以来の胸キュンを喰らった
本作の真ヒロイン(個人の感想です)
『君の名は』感想!
斉所です。
遅ればせながら、今夏の超ヒット作「君の名は」を観てまいりました。
東京に住む男子高校生の瀧と、山奥の田舎町に住む女子高校生の三葉、ある日突然お互いの中身が入れ替わってしまう。不定期的に起こる“入れ替わり”に戸惑いつつも次第に順応し、お互いの生活を協力しながらこなしていく。直接対面することは無い奇妙な交流から親しみが生じつつあった頃、“入れ替わり”の現象が起こらなくなり…
というお話。
正直なところ、観る前はそんなに乗り気でなく、劇場予告でもさほど惹かれる感じは無かったのですが、ぶっ飛ばされました…
細田守監督の『時をかける少女』を劇場で観て以来の胸キュンを喰らいました。
胸キュンと言っても恋愛要素にヤラレタという訳ではなく(どっちかと言うとそういうの引いてしまう質なので)(恋愛要素も結構あるんですけども)、
美しい景色、生き生きした登場人物たち、緩やかに始まりつつ怒涛の展開を見せる物語…に、ヤラレましたね…
なかなか複雑な世界観のルールをすごく巧みに、分かりやすく理解させてくれて、
まだ初見ですが、作中の様々な要素のどれひとつ無駄がない、と感じさせるスキのなさ。私にとっては学ぶべき所がとても多い作品でした。
今から観に行く場合、まったく予備知識無しで、というのは難しいかと思いますが、中盤以降の展開は、劇場で直接ご覧になっていただきたいところです。
ただ、ちょっと思うところもあって…以下ネタバレも含まれる、ちょっとした疑問点を書きます。
「まだ見ぬ運命の人」というあやうさ
結末(と冒頭)の部分、物語の全体を包む、もしくは背後に流れる、瀧と三葉が何年も(5年と8年)抱え続ける「記憶には無いが、とても大事な人がいる」という感覚。
この2人がそれを感じ続けることは必然性があるし、そういう感情を抱くに至る過程を観客として見続けてきたから、ついに再会するラストには大きな安心感があります。
ただ、この「まだ見ぬ運命の人がいる」という感覚の部分が、本作から切り取られて一人歩きした時、それはちょっと不健全なような…気もしてしまいます。
恋人に限らず、「運命」に期待してしまう感覚って、けっこう誰しも抱いちゃう事なんじゃないでしょうか?
自分を真に理解してくれる友人とか…ピッタリ合った仕事とか…お金とか…(どんどん生臭くなってしまう)
大まじめに信じるわけでは無いにせよ、ほのかに待望しちゃう気持ちは、特に若い頃は多かったりするんじゃ無いでしょうか?
私はその典型でした。
でもそれって、自分から一歩も動かない、怠けた態度と親和性が高い考え方なんですよね。
繰り返しますが、本作では瀧と三葉は多大な困難を経てラストに辿り着くわけで、二人の抱える感覚は怠惰の産物ではないです。
ただ、本作を観て、二人の"この感覚"に感情移入する時の鑑賞者は…どうでしょう?
「怠惰な感情を肯定する作品 」として受け取られかねない危惧があります。
ただこれは、「シン・ゴジラ」を観て日本の右傾化を危惧することと同じく、「ちゃんと観ればそうはならないでしょ」と思いつつ、やっぱりそう受け取る人も居るかも…という、すごく余計なお世話でもあります。
兎にも角にも、食わず嫌いで未見の方には今からでも是非ご覧いただきたい!
私は本作で、作品の食わず嫌いは絶対に良くないと改めて思いました。
ネットの様々なレビューを見るにしても、実際に自分で観て得た感想の下地が無いと表層を撫でるだけで終始しがちですからね〜。
も一回ぐらい観に行きます。