粉骨堂ブログ

Web上でマンガを描いてる斉所 サイショ です。

他人事じゃないかも知らん…ドキュメンタリー映画「ヤクザと憲法」の感想

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斉所です。
今ほうぼうで話題になってるドキュメンタリー映画「ヤクザと憲法」を先日観てきました。
 

映画『ヤクザと憲法』公式サイト

暴力団対策法、暴力団排除条例が布かれ、ヤクザは全国で6万人を割った。この3年で2万人が組織を離脱した。しかし数字だけでは実態はわからない。ヤクザは、今、何を考え、どんな暮らしをしているのか? 大阪の指定暴力団「二代目東組二代目清勇会」にキャメラが入る。会長が15年の実刑判決を受けた殺人事件は暴対法のきっかけだとも言われる。組員の生い立ちとシノギ、部屋住みを始めた青年と実の子のように可愛がるオジキ、そして、組員の逮捕、家宅捜索の瞬間がやってくる…。会長は「ヤクザとその家族に人権侵害が起きている」と語りはじめた。ヤクザと人権…。一体、何が、起きているのか?

実際注目度は高いようで、大阪第七藝術劇場で平日昼間の回を観に行ったのですが、かなり盛況で客層は老若男女問わず、といった感じでした。

 基本的に、普通は窺い知る事の出来ない暴力団、いわゆる「ヤクザ」の人達の日常生活が取材されている、という点でとても稀有で、見応えのあるドキュメンタリー映画でした。

 

ただ、この作品だけを観てヤクザ、警察の実態すべてを知ったような気になってしまうのはやはり早計だろうなぁ、とも感じました。

 

 日常と見え隠れする問題

いわゆる「ヤクザ」っていう言葉から一般的に連想される激しい場面はほとんど無く(ちょっとある)、基本的には組事務所での日常生活が淡々と撮影されています。

そんな中で、山口組の顧問弁護士を被告とした裁判、組員の逮捕、家宅捜索、組員の家族という事で通常の生活すら送れないという陳情、といったシビアな問題が現れてきます。

 

この問題の部分、基本的には法律に則った対応がなされている、という事にはなるんですが、本作を観る中では法律の恣意的な運用を感じざるを得ない…平たく言えば、嫌がらせとか、見せしめとしてやってるのでは?といった印象はありました。

 

映画の中で法律の解釈、条文について深く掘り下げるシーンはあまり無いのですが、生存権を無視したような法運用がアリになっているっていうのは、その矛先がヤクザの方をむいてるうちは他人事であったとしても、いつコッチ向けられるか分かんないと考えると全然他人事じゃないんだよなぁ…と感じました。

 

このあたりに関して論じられる知識も無いので、漠然とした「感想」レベルの意見ではあるのですが、インタビューを受ける組員の人達の、ごく普通に応答する様子が映されるのを観ると、そういう不安を感じざるを得なかったです。

 

この映画だけを参照するのはフェアじゃない(かも)

はじめに書いたように、ドキュメンタリーとしてとても価値あるもので面白かったけど、本作で映されるものが「唯一の真実」だと捉えちゃうと、だいぶ偏った見方になっちゃうんじゃないかな。
 
そもそも、本当に映せない所は映ってませんし。
 
ドキュメンタリーというのは基本的に、作り話でなく「現実」を映すものではあるんですけど、100%現実ってわけでもなくって、製作者の意図、考えがはっきり反映される表現ジャンルなんですよね。森達也さんの本で教わったのですが。
 
映画の後半、家宅捜索に訪れる大阪府警がカメラマンに対してかなり荒々しい態度をとる場面があるんですが、その視点はヤクザの側を取材している製作者側のものであって、「警察」と「やくざ」の真ん中に立った、中立的視点では少なくとも無いんですよね。
 
警察がカメラマンに対してとった態度は「事実」であっても、その事実の「切り取り方」は製作者の(客観性を追及しようとしてもどこかで滲み出てきてしまう)主観なわけです。
 
「ヤクザのどこが怖いのん、警察なんか何もしてくれへん」というたこ焼き屋のオバちゃんの話も、それをそのまんま全般に広げて頷くべきもんじゃ無く、そのおばちゃんの生きてる真実であって、即「警察なんか要らない!!」とはならないですよね。
 
なので、もっと詳しく知りたいと思われるのであれば、暴力団に関する書籍は割とたくさん出てるので、それらを読みつつこの映画を観られるといいんでないかなと思います。