粉骨堂ブログ

Web上でマンガを描いてる斉所 サイショ です。

「オタク文化はポルノ」という外側からの視線への態度

オタク文化への適当ないちゃもん付けは困る。でも外から見た異様さについても考えた方がいいかも

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斉所です。12月2日、ネット上(twitter上?)で以下のようなまとめが話題になっておりました。

『響け!ユーフォニアム』という作品の、「こういう絵柄のキャラクターが楽器を持っている姿は海外から見たら児童ポルノ」といった、ちょっと言いがかりに近いような、結論ありきの論考に感じられます。(冷静ぶってますが、ユーフォは二次創作するぐらいはまった作品なので初読時はかなり戸惑いました『響け!ユーフォニアム』劇場版&第2期制作うれしい漫画 )

ですが、このまとめられている論者の方の言わんとすること、「オタク文化のフェチズム」というのか、外側から見たときの異様さ、という事に関しては、ある程度冷静に考えないといけないのではいけないか、とも感じます。

 

黙殺は不健全 

その辺りに関して、上記のまとめよりも冷静な批評をRTで拝見しました。

けいおん!』ファンの方には強い抵抗を感じるタイトルと内容かとは思いますが、

「本来の表現は1次情報に触れるべきものを、オタク文化はその内側で作られたフェチズムを2重3重に使いまわしているのではないか」等、核心を突いている部分も多く、一読の価値ありかと思います。

 

表現というのは作者、鑑賞者の欲望、固定した観念、等々がどうしても発露されるわけですから、現実そのものと比べればどうしたっていびつな物になるのは避けられないものです。ドキュメンタリーであろうと、上記の評論であろうと。

とはいえ、アニメ、漫画、ゲーム等の表現が日頃それに関わらない人からすれば、特に異様なものに映る可能性がある、という事は事実として心得ておくべきとは思います。

「外側からの批評」に対する抵抗感 

ただやっぱり、こういったオタク文化の外側からの論考というのは、それ自体には一定の価値を感じるものの、個人としては抵抗感があります。

1番の理由は「制作・観賞の態度が簡略化されている」という点です。

傍から見れば単なる「萌えアニメ」とされるものであっても、その観賞の仕方・受け取り方は個別のものです。百人居れば百通りの観賞態度があってしかるべきものを、「性的商品として消費している」といった文言でひと括りに片付けられがちです。

規模の大きい対象について語る時は、ある程度簡単にカテゴライズしないと話が進まないというのは分かるのですが。

オタク文化の中で、こういう表現は非オタの人にとっては抵抗あるのでは?等々、客観的に論考・批評しあえる土壌がもーちょい整えば平和になるのかなーと感じます。

そういう土壌というのは過剰な自主規制が幅を利かしたり、真剣に考えるべき課題に対して罵詈雑言や大喜利合戦があふれ返ってしまわないような土壌…という事ですが、なかなか難しいのかな…?