他人事で済まさせてくれない映画
斉所です。 ほうぼうで「今年最高の邦画」と呼び声高い映画『恋人たち』を観ました。直接のキッカケはコチラの感想を読んだことです↓
結論として、めっちゃ良い作品です。人の演技で泣くという経験は滅多にないのですが(アニメとかではたまに泣きます…)、この映画を観ていて、2度ほど落涙してしまいました。
ただそれは、シンプルに「感動した…!」という涙でなく、自分は他人の真剣な言葉とかに向き合えてるのかなぁ、といった、自分自身の生き方をグルグルと問うていくにつれて出てきた、情けなさやら恥ずかしさやら、ともあれ一先ずそれに気付かせてもらった嬉しさとかの混じった、泣きです。
要するに感動です。
映画って、泣いたり笑ったり、スカッとできるアトラクションの側面もあろうかと思いますが、己の人生を省みさせられるという稀有な体験も出来るっていうのを、久々に思い出しました。
誰にも届かない言葉
通り魔殺人事件によって妻を失い、橋梁点検の仕事をしながら裁判のため奔走する男、アツシ。そりが合わない姑、自分に関心をもたない夫との平凡な暮しに突如現れた男に心が揺れ動く主婦、瞳子。親友への想いを胸に秘める同性愛者で、完璧主義のエリート弁護士、四ノ宮。不器用だがひたむきに日々を生きる3人の“恋人たち”が、もがき苦しみながらも、人と人とのつながりをとおして、ありふれた日常のかけがえのなさに気づく姿を、『ぐるりのこと。』『ハッシュ!』で知られる稀代の才能・橋口亮輔は、時折笑いをまじえながら繊細に丁寧に描きだす。(後略)
妻が通り魔の被害にあった青年アツシ、自分の妻がどういう目にあい、それから自分がどういう思いで生きてきたかを、いくつかのシーンで本当に吐き出すような様子で語ります。それに対して、誰も聞く耳を持ってくれません。(突然脈絡なく独白するというわけではなく、話す必要のある場面、話さざるを得ない状況に詰め寄られた上で話している、にもかかわらずです)
滞納した保険料を納めに行った市役所の窓口でも、弁護士にも医者にもいくら一生懸命に話しても全然通
会社を欠勤してるのを心配して尋ねてくれた、左腕をなくした上司にやっと傾聴してもらえます。
このシーンで落涙しちゃった訳ですが。ただ、その泣きと言うのが「やっと話の通じる人が居た」という、物語的な感動と、自分の中の「アツシに対する申し訳なさ」みたいな気持ちとの両面からのものでした。
自分自身を振りかえって見て、こんな風に相手が真剣に話してきて
それを感じた時、この映画はフィクションの他人のお話でなく、自分自身の問題にすり替わりました。映画自体が、というと話が大きいとしても、少なくとも「上司に対して思いの丈をぶちまける」このシーンは、現実の自分自身が問われているように感じました。
『恋人たち』の解釈
本作は群像劇といえる構成で、主人公といえる人物はアツシを含めて3人です。
3人ともそれぞれ(僅かずつ重なりながらも)バラバラの人生を生きる姿が描かれます。
しかし映画の終盤、全員が大きな喪失を経験し、誰にも聞かれる事のない独り語りをします。それは完全に私的な独り言ではなく、遺骨に、薬物で恍惚としてる不倫相手に、切られた電話越しに、相手を想定しながら、でも絶対に聴かれる事のない言葉を、滔々と紡いでいきます。
それまで3者とも、社会の中での一定の役割を演じつつ生きていくわけですが、このシーンにおいてはそういったポーズを捨てて、つまり相手を説き伏せようとか、おもねろうとか、怒りで相手を動かそうという態度ではなく、本当の心からの本音を語っているように思われます。
本作のタイトル『恋人たち』っていうのは、そういった言葉を聴いてくれる(と仮想しうる相手)のことなのかな?という風に感じました。
騙されたと思って(心身の調子を整えた上で)観よう!
ここまでの感想で、なんかめっちゃ重い映画なのでは?という印象持たれた方も居られると思います。正直、題材的にも重い映画です。あまりこういったジャンルの映画を見慣れてなければ、ちょっとだけ心の準備があった方が良いかと思います(僕も準備していきました)。
ですが、そういう覚悟で観てみれば結構笑えるシーンも端々にあるし、ラストシーンは人間の善性を信じる形で(ひとまず)結んでくれるので、後味の悪さはないです。
つらいラストであったとしても映画としては傑作だったとは思いますが、個人的にはけっこう有難かったです。
わりとうろ覚えではありますが、サウダーヂという未ソフト化の映画も連想しました。
現在もしばしば再上映されてるようで、気になる方は是非。(HPよりツイッターの方が再上映の情報が回りやすいかな?)