粉骨堂ブログ

Web上でマンガを描いてる斉所 サイショ です。

創作は有言実行…なのか?作る事と生活のズレとかのアレコレ。

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コミティア115お疲れ様でした!!(図はティア打ち上げのイメージです)

創作の嘘とテーマの真実

斉所です。ちょいと間が空いてしまいましたが、コミティアお疲れ様でございました。お陰様で色々な方にお越しいただきまして、誠に有難うございました!
東京でのコミティア参加、次回は未定ですが、五月の関西コミティアは出展予定しております。諸々決まりましたらコチラのブログにてお伝えさせて頂きますね。
 
本日の記事はちょっと抽象的というか、あんまり具体的でない、考え方の姿勢とかについてです。
作品を作る人は、作品の中で言ったことを守るべきか?
この世には色々な人によって作られた様々なものがあります。作られたものというのは、それを作った人の個性やら、考え方が反映されている、という事になってます。ひとつの問題についてでも、語る人によって無数の切り口があるわけです。
 
では、その人が「作ったもの」から離れて、その人自身の「生活」の中で、「作ったもの」と違う行為を行なうのはアリなんでしょうか?

 

言ってること≠やってること な時

例えば、映画でも漫画でも小説でも、表現の分野は何でもいいのですが、作中で「友情は大事!」ていう主張をしてる作者が、現実の友人関係をめっちゃ疎かにしてたら、ちょっと「えー…」てなります。
その主張が「作者自身」でなく「作中の登場人物」のものだ、と言われても、やはり微妙な気持ちになっちゃいます。
 
また、「信じ続ければ夢は叶う〜」的な事を唄うミュージシャンが、知人や自分の子に「現実を見ろ!」って説教してたら…それは本当の親切心かも知れないんですが、じゃあ日ごろ歌ってる内容は何なのだオォン!?て事になってしまいます。
 

逆に考えてみるんだ

逆に、作品内容が現実的に絶対不可能なテーマを表現している場合…たとえばアダルティな作品、18歳以下は閲覧不可な、ちょっと口にするのも憚られる欲望を表現した作品の作者では、どうでしょう?
 
そういったものを作る人は、そういった事を考える人…ではあっても、現実にそういう事をしている人、という訳ではないですよね。
ジャンルによっては現実には(身体的に、もしくは倫理的に)実行不可能だからこそ、フィクションで創作するという事も一杯あるわけです。
 
非現実的な主張、もしくはネガティブな結論の作品であれば、作品と作者が常にイコールではない、という事は納得しやすいかと思います。
 

作った人≒観る人 になる

読者、鑑賞者として作品に触れた後、現実で似た問題に直面する事があったりします。その時、「あの作品のあの人物は、こーいう行動をとったよな…」などと思い出して、自分の行動の指標にする、といった経験はあるでしょうか?私はあります。
 
読む、観る側だけでなく、実は作る側も、作った作品に引っ張られる、という事はあるような気がします。「そーいや自分は前にこういう事書いてたな…だったらこういう風に動かないと(or動いたらいけない)な…」という風に。
 
書いたものイコール作者というより、書いた後は作者も読者も、立場としてはほぼ同じようなものになっちゃう様な気がします。
 
…なんだか締まらない結論の記事ですが、要は私自身が、自分で書いたものと自分の生き方にズレを感じてる、という事でこんな事をつらつら考えた次第です。
皆さんどんな感じなんだろ…?